
島ハチでもう5年以上外来をやっている
毎回学びの多い外来だ
これも小沢先生のおかげだ
大半はいわゆる発達障害の若者
特に薬物治療をしているのは少数で後は経過観察
ここは即興の言葉の世界だ
何か実のある成果が見える治療はほとんどやっていない
そもそも発達障害を「治そう」としてもうまくはいかないに決まっている
残念ながら現在そういう段階なのだ
でもヒトの有り様が様々な形で垣間見えてくる、まあそういう恵まれた環境に身を置きながら眺めている
外来はそういう意味では楽しくて仕方がない
来たくて病院に来ているのではない患者家族を診て、何が楽しいのかと言われそうだが、毎回難題を抱えてくる患者家族の饒舌や沈黙に相対することで多くの発見がある
その発見を暗黙知の世界に置いておく
そこから他では生まれようのない言葉が出てくることがある
こんなのは医療と呼べるかどうか、昔の祈祷とどう違うのかと考えながら、それでも「そういう生き方でいいんだよ」というメッセージを伝えながら、息苦しい時間を少し斜めから見る目を共有する
不登校、結構
堂々と生きればよいのだ
あまりに受け身な、震えるような感受性を受け止めながら、鼓舞することなく、立ち上がるのを待つ
私の娘がそうだったように自分流の闘いの方法を見つけた時、氷解するもの、次の困難に立ち向かう術をつかむこともある
私たちにできるのは同伴することのみである
道を説いたり、何かを裁いたりはしてはいけない
そんなことは何の役にも立たないばかりか邪魔なのだ
傷は傷として眺める余裕ができたとき、今日より少しましな明日が出てくることもある
外来が終わり部屋を出て行く親子をみながら、それは遠い昔の私と娘の姿でもあったと思いながら、言葉にならないエールを送るのである